奥蓼科 三十三番観音

 八ヶ岳の麓の集落から奥蓼科に向かう街道沿いには、渋温泉、明治温泉の三十三番観音が旅行く人を見守っております。

 かっての古い時代、この奥蓼科温泉は武田信玄の隠し湯と言われ、戦いで傷負った武将が傷を癒すのに湯治に訪れたと言い伝えられております。

 その道順に道しるべとして、そして安全を祈願したものだそうです。

 そして、明治時代に入り、八ヶ岳裾野の農家の方々が農業の空いた時間に湯治に訪れました。その時の奥蓼科温泉への道しるべとして見守って下さいました。

 八ヶ岳麓の市街地(茅野市街)からきた最後の集落の中に(茅野市笹原地区)それぞれの一番観音があり、その街道沿いには、それぞれの温泉まで随所にそれぞれの観音様が祀られておりますので、奥蓼科に向かう途中、そのいろいろな観音様を拝みながら行くのも風情があり、一つの旅のページになるでしょう。

 渋温泉、明治温泉とも当初は三十三番あったと思われますが、長い年月にさらされ、風化し壊れたり無くなったりしているものもあります。先代の方達により修復されたものも多くあり、まだまだ多くの観音様が残っております。

 

 

 

十一面観音

十一面千手千眼観音

千手観音

聖(しょう)観音

十一面千手観音

馬頭観世音

如意輪観音

准胝(じゅてい)観音

不空羂索(けんじゃく)観音

観音様の種類は・・・・

この観音様をそれぞれに拝み良く見ることにより、昔の方々がこの奥蓼科温泉をいかに重要にしていたがが伺えます。

40体以上の観音様が皆様を歓迎いたしております。

Photo by Aki yumetabi.

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